今月の法話

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今月の法話一覧

2020.06.02
巣ごもりの今「おじいさんの知恵」



 いつ果てるとも知れぬコロナ禍で、世の中の様相はすっかり変貌してしまっているようです。人と会ってもマスク越しでは本当の表情が窺えず、笑っているのか泣いているのかさえ首を捻る始末です。テレビの番組を観ていてもコロナ一色、ドラマ以外は出演者が一箇所に集まらないで、銘々が自宅からのリモート出演と、違和感ばかりが目に付きます。

 社会の各階層にも甚大な影響が出て、深刻の度を増しているようです。特に飲食業界や、文化芸術の分野は、明日の生活にも困窮するような状況とか。先日も、山形市出身の女優で舞台演出家の渡辺えりさんが、俳優さんはじめ、ミュージシャンや、舞台芸術に携わる人達の窮状と、文化芸術の危機を、文化庁に切々と訴えていました。 とにかく、一日も早く騒ぎが収まり、いつもの平穏な日常が戻ってくることを祈るばかりです。

 舞台芸術のことに思いを馳せていたら、一人の役者さんのことを思い出しました。かつて私が好きだった歌舞伎俳優で、松本白鸚(八世幸四郎、現在の白鸚さんの実父)という方です。映画やテレビドラマ等にもよく出演されて誉れ高く、人間国宝の称号を持ち、文化勲章も受章された名優でした。

 この白鸚翁が、八世幸四郎を名乗っていた頃、こんなことを言っています。「自分の歌舞伎の芸は、もちろん直接の師匠である父親から教わったのだが、本当の大事なところは、よく考えてみると、どうも先々代に仕込まれたような気がする」

 つまり演技の極意を得るような大切にヒントは、おじいさんから伝えられたのです。これは大変に意味の深いことなのです。私たちが一生の間に身につける知識などタカの知れたものですから、それを補うためには先祖代々積み重ねてきた深い智慧を知る力が要ります。しかも、その力が備わるのは六十歳頃からだとも言われています。

 だからおじいさんやおばあさんの教えを大切にしないと、浅い猿知恵くらいしか持ち得ないのです。お年寄りも教えるべき事は、きちんと教えてあげてください。変な遠慮はかえってよくありません。例えばお正月やお盆の迎え方、神棚や仏壇の飾り方、年中行事の勤め方等々、大切な文化活動です。幼い子供の心に植え付けられたいろいろな年中行事の風習は、情操豊かな人間に育つ貴重な栄養です。

 私事ですが……私は九歳の時、両親と離れて、祖父母の下で育てられました。今年五十回忌を迎えた生前の祖父は、文字通り己に厳しく他に温かく慈悲深い人でしたが、一方で、まだ幼かった孫の私を何とか一人前の仕事の出来る大人に育てようと、必死の思いで教育したくれたように思います。例えば、今ではほとんど見ることも実践することもない、伽藍の雪囲いのための荒縄の結び方(いわゆる男結び)、丸太を鋸でひいて、まさかりで割って薪を作ること、その薪を燃やして囲炉裏や風呂の準備をすること、鉈や鍬の使い方、寺で必要なお守りやお札を作るための刃物の扱い方、もちろん伽藍内外の掃き掃除と雑巾がけのコツ等々。僧侶としての素養よりも、むしろ人間として生きていく上で、身につけるべき生活上の技や知恵を懇切に教えてくれました。

 余談ですが、今の私が浪曲や落語が好きなのも、テレビの無かったあの頃、ラジオから流れてくる名調子を、満足気に聴いていた祖父の姿を見ていたからかも知れません。

 かつては当たり前であった三世代同居というのは、珍しくなりましたが、コロナの影響で巣ごもりのような生活が続いている今こそ、家族の中でそれぞれの年代の役割について話し合ってみてはいかがでしょうか。

 私は今日も、慌てず騒がず、CDで広沢虎造の浪曲を聴いています。

 


2020.05.01
『感応道交』通じ合う心



 いつ収束するとも知れない新型コロナ禍の暗いニュースが、連日新聞やテレビで報道されています。芸能界の著名人が急死したり、感染者への差別や風評被害が発生したり、経営危機に襲われた飲食業者の悲鳴が聞こえてきたり、アルバイトの口が無くなった上、親の収入も減って学費が払えず退学を覚悟した大学生の話とか、果ては、感染の拡大に乗じた詐欺行為が横行したりと……心の薄寒さを感じずにおれません。福岡県の某公園では、人の密集を避けるため、せっかく見事に咲きそろった藤棚の花を、すべて刈り取ってしまったという、思いもよらぬニュースまでありました。

 私事ですが、師匠が昭和46年に寂を示して、今年で丁度50回忌を迎えました。私もあと数年で師匠の歳に追いつきますので、この春最後の報恩行として、縁のある方々を大勢お招きして法要を営もうと準備をしていたのですが、間際になってやむなく無期限に延期することとしました。

 疫病の猛威の中、ただ首をすくめて恐れおののくばかりの人間社会の一人として、陰鬱な気持ちにならざるを得ません。

 こんな時にも、闇の中に灯を見るようなホッとする出来事が各地にあることを、報道で知りました。

(その一) 二人の幼子を必死の思いで育てているシングルマザーのアパートのポストに、大家さんから激励の手紙と、1万円札の入った封筒が届けられていたこと。

(その二) 賃貸マンションの大家さんが、全住民の家賃を半額にしてくれたこと。

(その三) 都内のレストランのシェフ達が、一致協力して得意の料理を100食以上の弁当にして、医療機関に無料で届けてくれたとか。

(その四) 福岡の市役所では、一日の決まった時間に、職員全員が窓際から外に向かって、必死に闘っている市内のすべての医療従事者に、感謝と激励の拍手を送っているそうな……等々。

 こうした事柄に触れると、何か心が温かくなるのを憶えます。実際、感染の恐怖と向き合いながら、文字通り自分の命を削って、最前線で患者の命を支えてくれている医師や看護師等、医療現場の方々には、ただただ頭が下がる思いです。

 先に触れた私の師匠は、生前折に触れて「感応道交」という言葉を口にしていました。中学生や高校生の頃の私には、何のことやら理解できなくていました。

 「感応道交(かんのうどうこう)」……仏(覚者=悟りし者)と凡夫と、また教える者と教えられる者との気持が通い合い、融合するというのが本来の意味ですが、私流に一口で解釈すれば、人々の喜怒哀楽を、我が事として共有するということでしょう。

 政治家は民と、教師は生徒と、医者は患者と、経営者は社員と、大家は店子と、親は子と、それぞれが喜怒哀楽を共にしてこそ、人間としての麗しい絆が結ばれるということです。

 多くの檀家の人達から、敬われ慕われていた我が師匠にとって、この「感応道交」こそが、宗教家として自分に課した生涯の軌範であったのだと、今になって思います。

 最近の政治家の言葉が、薄っぺらに思えて心に響いてこないのは、民の心情を我がものとせずに、心底からの叫びを自らの言葉で語りかけていないからです。官僚の作った無味乾燥な文章を、下を向いて棒読みしているだけでは、感応道交のしようがないことは明らかです。

 今こそ国内のあらゆるところで、感応道交の世界を実現し、思いを共有して繋がり合わなければなりません。

 


2020.04.01
ホントの春よ来い……蜷川氏と良寛さん



 新型コロナウィルス感染症拡大の影響で、せっかく咲いた春の花々の輝きが失せて見えるような、鬱々とした世情の中で、何か心が明るくなるような記事はないものかと、新聞をめくっていたら、小さなコラム欄に載っていた一人の政治家の逸話に目がとまりました。

 その政治家の名は、蜷川虎三氏。戦後28年間革新府政を担った元京都府知事です。氏は生涯を通じて反骨の人でした。大きくて豪華な公舎には入らず借家住まい。様々な事情で困窮している人たちへの慰問などのために、後先を考えずに散財するので、フトコロはいつも寒かったそうです。退職金はそれ相当に高額でしたが、それも昔の度重なる選挙で資金援助したくれた人たちに、自ら返して回ったそうです。その後援の人たちから、「喜んで出させてもろうた金やさかい、返してもらおうとは思いませんがな」と固持されると、「その気持ちは有り難いがね、あたしの帳面も消させてくださいよ」と返したのだそうです。

 何とも清々しく、気骨に満ちた人生を送った政治家が実在したことを知って、一服の清涼剤をいただいたような、感動を覚えて胸が熱くなりました。

 不祥事が明らかになっても、職や地位にしがみつき、説明さえも拒んで恥とも思わぬ鉄面皮や、耳障りの良い薄っぺらな言葉を弄するだけで、行動の伴わぬ言行不一致の政治家ばかりが目立つ最近の世の中には、正にこの蜷川氏のような、気骨に満ちた清貧の政治家こそ望まれます。

 御自分の行動と活動への見返りは決して求めず、唯ひたすら世のため人のために、又御自身の使命と信念のために働かれた蜷川氏こそ、仏教で言う「布施行」と「利他行」の極地を生きた人と言えましょう。新聞のコラムからの、間接的にとは言え、そんな蜷川氏の人生に触れて、私は何となく現代の良寛さんを見るような気がしたのです。

 柔らかな春の日差しを浴びながら、子供達と日がな一日、毬つきや隠れんぼに無心に興ずる良寛さん……一日に食べるお粥のための米一合と、村人が持ってきてくれる少しの味噌と野菜と、和歌や漢詩を書き綴る数条の半紙さえあれば、それ以上のことは望まなかった良寛さん。そんな良寛さんの生き様と、蜷川氏の人生とは、確かに通底しているように思えます。

 いずれにせよ、今この瞬間にも世界中に拡散を続ける感染症が、一日も早く収束して、文字通り明るく暖かく穏やかな春の日差しの下、人々の笑顔と歓声が、街中に溢れる日が来ることを祈るばかりです。

『この宮の 森の木下に こどもらと 遊ぶ春日は 暮れずともよし』

『こどもらと 手をてづさはりて 春の野に 若菜を摘むは 楽しくあるかも』 

 ……いずれも良寛詠


2020.03.01
春彼岸に寄せて



 史上稀に見る歴史的な暖冬でしたが、それでも周囲の風景は確実に移ろい、明るく穏やかな春はすぐそこに来ているようです。この安養寺でも、すぐ近くの丘で、春を告げる「まんさく」が早々に開花し、境内にその芳香を漂わせています。梅の蕾も大分ふくらんできました。いよいよ彼岸の季節です。

 彼岸と言えば、多くの壇信徒の方々から質問されて、困ることが屡々あります。例えば「和尚さん、お彼岸にお寺やお墓へのお参りは、どうしてもしなければならないんですか? こんなのは単に昔からのしきたりなんでしょう?」などと聞かれたりするのです。

 テレビでも、お中日ともなると、方々の霊園の墓参風景が、歳時記のように取り上げられ、それを観ては気がついて「うちもせっかくお墓があるのだから」と、墓参りしないと、なんだか悪いことをしているような気になって、渋々と義務的に墓参りに行ったりする人もいるようです。

 ところで、お彼岸の「彼岸」という彼の岸は、「安らぎと悟りの世界」という、仏の世界を意味し、此岸(しがん)、すなわち今私たちが生きている、迷いや悩みや争いに満ちたこの娑婆世界の反対の意味として使われます。したがって彼岸の墓参りには、既に亡くなられた方々の幸福(冥福)を祈るばかりでなく、この世(此岸)にいる私たちが精進して、少しでも安らぎの世界へ近づこうという目的が、なくてはなりません。

 彼岸についてお釈迦様が教えているお経には、真の安らぎを得るためには、六つの大切な修行法(心がけ)があると説かれています。これを「六波羅蜜」と言います。

 一、物でも心でも喜んで与える人間になろうとする「布施(ふせ)」

 二、悪事を行わず、規則正しい生活をする「持戒(じかい)」

 三、困難や苦しみに負けない、我慢の「忍辱(にんにく)」

 四、良い教えに従って、努力を続けること「精進(しようじん)」

 五、人を憎まず、恨まず、穏やかな心を持ち続ける「禅定(ぜんじょう)」

 六、自信を持ってしっかりと生きるための「智慧(ちえ)」

の六つです。

 勿論、お墓参りすることも大事です。お墓や仏壇の前では、誰でも素直に正直に祈れる筈です。ただお墓や仏壇に祈る際に大切なことは、どんな人でも親の純粋な祈りに支えられ、生命(いのち)を育まれてきたということに思いを致すことです。そのことを思い起こせば、自然と親だけでなく、遙か昔の先祖達へも感謝の手を合わせたくなるというものでしょう。

 更に私たち自身が、どんな生活態度で生きるか思いを巡らすこと、それがお彼岸の大切な点なのです。

《添付写真は春を告げる「まんさく」の花と、安養寺所蔵の大涅槃図-旧暦2月15日はお釈迦様の御命日》

 

 

 

 

 


2020.02.01
樹氷も見納め?



 地球環境の保護を世界中に訴えて活動を続けるスェーデンの高校生、グレタ・トゥーンベリさんの国連での演説が、世界中の人々に衝撃を与えたことは、記憶に新しいところです。まだ17歳の少女が、あれほどの熱情と怒りを、世界中の指導者たちの前で示したのは、今地球上で起きている環境の激変に、ただ手をこまねいている大人たちへの憤りと、自分たちが大人になった時、果たして健康で安全に生きていられるのだろうかという、恐怖に近い心情の表れのように思います。

 にもかかわらず、グレタさんをはじめとする世界中の子供達の将来を案じて、率先して環境保全の施策を進めるべき、二つの超大国の指導者が、彼女を揶揄し、あざけるような発言をしたことを報じられたときは、開いた口がふさがりませんでした。世界の指導者としての資質を持ち合わせているとは到底思えません!!!

 今、地球環境が、わずか100年の間に激変していることは、誰の目にも明らかです。夏の極端な猛暑をはじめ、巨大台風や大洪水等は、毎年のように世界中で頻発しています。この冬などは、これまでの記憶にないような暖冬で、私の身近な所でも、我が寺からほど近い、世界的に有名な蔵王の樹氷が、例年の姿とは似ても似つかぬほと痩せ細っており、スノーモンスターと言われるイメージとは大違いのようです。

 こうした異常気象の頻発の原因が、この100年余りの間の、人間社会の経済一辺倒の営みにあることは、多くの専門家の指摘するところです。金や物、地位や名誉といった欲望に引きずられ、経済効率のみを追求する社会の営みが、今の結果をもたらしているのでしょう。

 グレタさんの主張は、まさしく欲望に引きずられた、経済一辺倒の大人社会に対する痛烈で悲壮な告発と言ってよいかも知れません。

 折も折、今月15日は、お釈迦様の御入滅の日……涅槃会(ねはんえ)です。お釈迦様は息を引き取る寸前まで、周囲に控える御弟子達に説法をなさいました。実はその最後の御説法こそが、「遺教経(ゆいきょうぎょう)」と言って、私たち僧侶が、死人の枕辺で詠む「枕経」そのものなのです。

 その「遺教経(枕経)」の教えの中に『少欲・知足』という有名な言葉があります。

 曰く「多欲の人は利を求むること多きが故に苦悩もまた多し。少欲の人は無求(むぐ)無欲なれば則ち此の患(うれい)無し」と。また曰く「知足の人は地上に臥すといえども安楽なり。不知足の者は天堂に処すといえどもまた意(こころ)に叶わず。不知足の者は富めりといえども貧し。知足の人は貧しといえども富めり」と。

 今こそ私たちは、2600年も前のこの教えを、改めて思い起こしてみるべきです。いずれにせよ、このまま異常気象と温暖化が進み、子や孫達の世になった時、地球の陸地のいたる所が水没し、狭くなったその陸地で、50年先は100億とも言われている人間と、その何倍もの動物たちがひしめき合い、土地と資源と食物を奪い合い殺し合う地獄のような世界にだけはならないことを、ただただ祈るばかりです。

【添付の写真は、数年前まで見られた蔵王の樹氷。今後はもう見られないかも……】

 


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