今月の法話

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今月の法話一覧

2020.08.01
「三密」不言実行


 大災害に遭う機会が滅多になく、日本で最も安全な県の一つと言われていたこの山形県も、7月末の豪雨により、母なる川と親しみ誇りにしている最上川が氾濫し、各地に甚大な被害をもたらしました。地球温暖化の影響が、この奥羽の地にも、ひたひたと押し寄せてきている気がします。それもこれも実はと言えば、僅か100年余りの間の、人間社会の営みの結果であることは明白です。

 依然として収束の気配さえ見えないコロナ災禍の今の世情も、新しいウィルスが何の原因もなく急に、しかも偶然に出現したことによるものだとは思えません。恐らく人間の様々な営みの結果が重なり合っての事であろうと思われます。

 ところで、年末に京都の清水寺で発表される今年の流行語大賞は「三密」で決まりでしょうか?

 実はこの「三密」という言葉を耳にしたとき、私は成る程とうなずきながらも、反面強い違和感を抱きました。なぜならこの「三密」というのは、本来極めて深い意味を持つ仏教語であり、かつて弘法大師空海が、中国から持ち帰った真言密教の中心的な教えだからです。新型コロナ感染予防のための、密閉、密集、密接を避けるという発想の「三密」とは全く異なります。

 弘法大師の説く「三密」は、身密(しんみつ)、口密(くみつ)、意密(いみつ)を言います。「密」とは、お釈迦様や、大日如来、薬師如来、阿弥陀如来と言った仏様達と一体となる修行を意味しています。体や行動(身)を整え、言葉や発言(口)を正しくすれば、おのずと心や考え(意)も整う。この三密の修行を重ねれば、生きながらに仏様のような徳の備わった穏やかな人となれる、というのが弘法大師の最も大切な教えなのです。

 コロナと共存せざるを得ない今こそ、この「三密」の教えを活かせると言って良いでしょう。つまり、せっかく親(先祖)からいただいたこの体を存分に活かして、世のため人のために少しでも役立てようとする行いが「身密」、人様への誹謗中傷や、恨み辛み、差別等を口にしたりせず、優しく穏やかな言葉を発し、特に今の世情で、自分の命の危険をも顧みず、必死に闘ってくれている医療従事者の人達への感謝を表すのが「口密」、そして、災害等で辛い思いをしていたり、身体障害等の境遇にある人を見かけたら、いつか自分もそういう目に遭うかも知れない、いつかは自分も障害者になるかも知れないという想像力を持って、差別や分け隔て無く、人生すべてお互い様の気持ちで、思いやり寄り添う気配りをするのが「意密」……この「三密」こそが、今必要な、そして人間としてよりよく生きるための教えだと思います。

 そんな折も折、7月豪雨で被災した大分県日田市で、泥水と格闘するあのスーパーボランティア、尾畠春夫さんの姿をTVニュースで目にしました。作業の合間にレポーターのインタビューに答えた時の尾畠さんの言葉に思わず唸って拍手しそうになりました。曰く『有言実行は誰でも出来る。出来ることだけ言ってりゃいいのじゃから。出来ぬ事、やらぬことは言わなきゃよい。本当に大事なのは、黙って人知れず行う不言実行! 口数少なく手数は多くじゃ!!』

 尾畠さんこそ真の「三密」修行者です。「不言実行」をもじって、かつては辞書にもなかった「有言実行」などという曖昧な言葉を作って盛んに口にするようになった政治家の皆さん、一度長靴を履いて被災地の泥掃除に来ませんか? お茶ぐらいは出しますので。


2020.07.01
「また会いましょう」



 新型コロナの災禍で、経済界をはじめ、教育、文化芸術、スポーツ等、社会の様々な分野での活動が、随分と様変わりしてしまいました。宗教界も例外ではありません。葬儀の形態なども、特に東北地方では、大勢の会葬者に参列してもらうのが当たり前のことでしたが、この春以降は、ごく限られた身内だけの少人数による、いわゆる家族葬という形の葬儀が普通になりました。

 もっともこうした少人数の葬儀の中にも、思わぬ発見と気付きがあり、今後の葬儀本来の有りようを考える良い機会になったことも事実です。

 例えば、少人数の家族葬なればこそ、香典返しやお斎の心配とか、五七日忌の人数の心配とか、身につける衣服の心配に至るまで、社会一般の通例や慣習に頭を悩ませる必要が無く、むしろそうした形式的なことには一切とらわれずに、心底から亡き人を偲び、冥福を祈るという本来のしめやかで真心のこもった葬儀が実現されるようになったとも言えそうです。

 しかし同時に、亡き人を送る時の「お別れ」という言葉の悲しさが、むしろ以前にも増して胸を打つようになった印象があります。

 仏教では、私たちは死んだのち、必ず仏の国に生まれて、再びめぐり会いをすると説かれています。それなのに私たちは、死ぬことを「お別れ」「お別れ」と言い慣らされてしまっているようです。

 例えば葬儀屋さんは、棺の蓋をするのに「お別れ」、火葬場でもう一度顔を見せては「最後のお別れです」。釜に入れる時「お別れです」。お骨を骨壺に収めて蓋をする時「お別れです」と。繰り返し繰り返し別れることを強調します。葬儀屋さんは、凡そ仏教の宗派を超えて、仏の国に生まれるための儀式をしているはずなのに、「またお会いしましょう」などと言ってはくれません。ましてや和尚さんが、「また会える」ことを説いてくれなければ、一般の人達は、「また会える」ことを信じるどころか知らずに、一生を終わってしまうかも知れないのです。愛する者との別れは辛く、苦しいことです。「愛別離苦」を、八つの苦しみの一つに挙げたお釈迦様の教えは、裏を返せば、愛する者と再びめぐり会えて、互いに永遠の生命(いのち)を得られることは、最大の幸福であるはずだ、ということです。

 こんな素晴らしい教えを説かないのは、葬儀屋さんに責任があるのではなく、私たち僧侶の責任に違いありません。そこで、どうか、他人様と、死ぬことを含めた上での、お別れをする時には、「またお会いしましょう」「またお目にかかりましょう」と声を掛け合っていただきたいと思うのです。そうすれば遺されたご家族の悲嘆を、いくらかでも和らげられるような気がするのですがいかがでしょうか。

 そう言えば、私が生まれ育った県中央部、月山の麓にある町の寺の境内には、巾1メートルにも満たない小川が流れていました。夏になると、その小川の両岸には、暗闇の中、沢山のホタルが飛び交っていました。私が小学校に入る前の幼い頃、そのホタルを眺めながら、育ててくれた祖母が、こんな言い伝えを話してくれたことを思い出しました。

 『夏の暑い夜、人々が涼みに外に出てくるのを見計らって、御先祖様がホタルとなって光を放ちながら、家族に会いに来るのだ』と言うのでした。やはり御先祖様との再会は、ホタルの飛び交う夏がふさわしいようです。しかし、地球環境の悪化のせいでしょうか。最近ホタルの姿を、遠くの里山までわざわざ出掛けないと見られなくなったのが本当に残念です。


2020.06.02
巣ごもりの今「おじいさんの知恵」



 いつ果てるとも知れぬコロナ禍で、世の中の様相はすっかり変貌してしまっているようです。人と会ってもマスク越しでは本当の表情が窺えず、笑っているのか泣いているのかさえ首を捻る始末です。テレビの番組を観ていてもコロナ一色、ドラマ以外は出演者が一箇所に集まらないで、銘々が自宅からのリモート出演と、違和感ばかりが目に付きます。

 社会の各階層にも甚大な影響が出て、深刻の度を増しているようです。特に飲食業界や、文化芸術の分野は、明日の生活にも困窮するような状況とか。先日も、山形市出身の女優で舞台演出家の渡辺えりさんが、俳優さんはじめ、ミュージシャンや、舞台芸術に携わる人達の窮状と、文化芸術の危機を、文化庁に切々と訴えていました。 とにかく、一日も早く騒ぎが収まり、いつもの平穏な日常が戻ってくることを祈るばかりです。

 舞台芸術のことに思いを馳せていたら、一人の役者さんのことを思い出しました。かつて私が好きだった歌舞伎俳優で、松本白鸚(八世幸四郎、現在の白鸚さんの実父)という方です。映画やテレビドラマ等にもよく出演されて誉れ高く、人間国宝の称号を持ち、文化勲章も受章された名優でした。

 この白鸚翁が、八世幸四郎を名乗っていた頃、こんなことを言っています。「自分の歌舞伎の芸は、もちろん直接の師匠である父親から教わったのだが、本当の大事なところは、よく考えてみると、どうも先々代に仕込まれたような気がする」

 つまり演技の極意を得るような大切にヒントは、おじいさんから伝えられたのです。これは大変に意味の深いことなのです。私たちが一生の間に身につける知識などタカの知れたものですから、それを補うためには先祖代々積み重ねてきた深い智慧を知る力が要ります。しかも、その力が備わるのは六十歳頃からだとも言われています。

 だからおじいさんやおばあさんの教えを大切にしないと、浅い猿知恵くらいしか持ち得ないのです。お年寄りも教えるべき事は、きちんと教えてあげてください。変な遠慮はかえってよくありません。例えばお正月やお盆の迎え方、神棚や仏壇の飾り方、年中行事の勤め方等々、大切な文化活動です。幼い子供の心に植え付けられたいろいろな年中行事の風習は、情操豊かな人間に育つ貴重な栄養です。

 私事ですが……私は九歳の時、両親と離れて、祖父母の下で育てられました。今年五十回忌を迎えた生前の祖父は、文字通り己に厳しく他に温かく慈悲深い人でしたが、一方で、まだ幼かった孫の私を何とか一人前の仕事の出来る大人に育てようと、必死の思いで教育したくれたように思います。例えば、今ではほとんど見ることも実践することもない、伽藍の雪囲いのための荒縄の結び方(いわゆる男結び)、丸太を鋸でひいて、まさかりで割って薪を作ること、その薪を燃やして囲炉裏や風呂の準備をすること、鉈や鍬の使い方、寺で必要なお守りやお札を作るための刃物の扱い方、もちろん伽藍内外の掃き掃除と雑巾がけのコツ等々。僧侶としての素養よりも、むしろ人間として生きていく上で、身につけるべき生活上の技や知恵を懇切に教えてくれました。

 余談ですが、今の私が浪曲や落語が好きなのも、テレビの無かったあの頃、ラジオから流れてくる名調子を、満足気に聴いていた祖父の姿を見ていたからかも知れません。

 かつては当たり前であった三世代同居というのは、珍しくなりましたが、コロナの影響で巣ごもりのような生活が続いている今こそ、家族の中でそれぞれの年代の役割について話し合ってみてはいかがでしょうか。

 私は今日も、慌てず騒がず、CDで広沢虎造の浪曲を聴いています。

 


2020.05.01
『感応道交』通じ合う心



 いつ収束するとも知れない新型コロナ禍の暗いニュースが、連日新聞やテレビで報道されています。芸能界の著名人が急死したり、感染者への差別や風評被害が発生したり、経営危機に襲われた飲食業者の悲鳴が聞こえてきたり、アルバイトの口が無くなった上、親の収入も減って学費が払えず退学を覚悟した大学生の話とか、果ては、感染の拡大に乗じた詐欺行為が横行したりと……心の薄寒さを感じずにおれません。福岡県の某公園では、人の密集を避けるため、せっかく見事に咲きそろった藤棚の花を、すべて刈り取ってしまったという、思いもよらぬニュースまでありました。

 私事ですが、師匠が昭和46年に寂を示して、今年で丁度50回忌を迎えました。私もあと数年で師匠の歳に追いつきますので、この春最後の報恩行として、縁のある方々を大勢お招きして法要を営もうと準備をしていたのですが、間際になってやむなく無期限に延期することとしました。

 疫病の猛威の中、ただ首をすくめて恐れおののくばかりの人間社会の一人として、陰鬱な気持ちにならざるを得ません。

 こんな時にも、闇の中に灯を見るようなホッとする出来事が各地にあることを、報道で知りました。

(その一) 二人の幼子を必死の思いで育てているシングルマザーのアパートのポストに、大家さんから激励の手紙と、1万円札の入った封筒が届けられていたこと。

(その二) 賃貸マンションの大家さんが、全住民の家賃を半額にしてくれたこと。

(その三) 都内のレストランのシェフ達が、一致協力して得意の料理を100食以上の弁当にして、医療機関に無料で届けてくれたとか。

(その四) 福岡の市役所では、一日の決まった時間に、職員全員が窓際から外に向かって、必死に闘っている市内のすべての医療従事者に、感謝と激励の拍手を送っているそうな……等々。

 こうした事柄に触れると、何か心が温かくなるのを憶えます。実際、感染の恐怖と向き合いながら、文字通り自分の命を削って、最前線で患者の命を支えてくれている医師や看護師等、医療現場の方々には、ただただ頭が下がる思いです。

 先に触れた私の師匠は、生前折に触れて「感応道交」という言葉を口にしていました。中学生や高校生の頃の私には、何のことやら理解できなくていました。

 「感応道交(かんのうどうこう)」……仏(覚者=悟りし者)と凡夫と、また教える者と教えられる者との気持が通い合い、融合するというのが本来の意味ですが、私流に一口で解釈すれば、人々の喜怒哀楽を、我が事として共有するということでしょう。

 政治家は民と、教師は生徒と、医者は患者と、経営者は社員と、大家は店子と、親は子と、それぞれが喜怒哀楽を共にしてこそ、人間としての麗しい絆が結ばれるということです。

 多くの檀家の人達から、敬われ慕われていた我が師匠にとって、この「感応道交」こそが、宗教家として自分に課した生涯の軌範であったのだと、今になって思います。

 最近の政治家の言葉が、薄っぺらに思えて心に響いてこないのは、民の心情を我がものとせずに、心底からの叫びを自らの言葉で語りかけていないからです。官僚の作った無味乾燥な文章を、下を向いて棒読みしているだけでは、感応道交のしようがないことは明らかです。

 今こそ国内のあらゆるところで、感応道交の世界を実現し、思いを共有して繋がり合わなければなりません。

 


2020.04.01
ホントの春よ来い……蜷川氏と良寛さん



 新型コロナウィルス感染症拡大の影響で、せっかく咲いた春の花々の輝きが失せて見えるような、鬱々とした世情の中で、何か心が明るくなるような記事はないものかと、新聞をめくっていたら、小さなコラム欄に載っていた一人の政治家の逸話に目がとまりました。

 その政治家の名は、蜷川虎三氏。戦後28年間革新府政を担った元京都府知事です。氏は生涯を通じて反骨の人でした。大きくて豪華な公舎には入らず借家住まい。様々な事情で困窮している人たちへの慰問などのために、後先を考えずに散財するので、フトコロはいつも寒かったそうです。退職金はそれ相当に高額でしたが、それも昔の度重なる選挙で資金援助したくれた人たちに、自ら返して回ったそうです。その後援の人たちから、「喜んで出させてもろうた金やさかい、返してもらおうとは思いませんがな」と固持されると、「その気持ちは有り難いがね、あたしの帳面も消させてくださいよ」と返したのだそうです。

 何とも清々しく、気骨に満ちた人生を送った政治家が実在したことを知って、一服の清涼剤をいただいたような、感動を覚えて胸が熱くなりました。

 不祥事が明らかになっても、職や地位にしがみつき、説明さえも拒んで恥とも思わぬ鉄面皮や、耳障りの良い薄っぺらな言葉を弄するだけで、行動の伴わぬ言行不一致の政治家ばかりが目立つ最近の世の中には、正にこの蜷川氏のような、気骨に満ちた清貧の政治家こそ望まれます。

 御自分の行動と活動への見返りは決して求めず、唯ひたすら世のため人のために、又御自身の使命と信念のために働かれた蜷川氏こそ、仏教で言う「布施行」と「利他行」の極地を生きた人と言えましょう。新聞のコラムからの、間接的にとは言え、そんな蜷川氏の人生に触れて、私は何となく現代の良寛さんを見るような気がしたのです。

 柔らかな春の日差しを浴びながら、子供達と日がな一日、毬つきや隠れんぼに無心に興ずる良寛さん……一日に食べるお粥のための米一合と、村人が持ってきてくれる少しの味噌と野菜と、和歌や漢詩を書き綴る数条の半紙さえあれば、それ以上のことは望まなかった良寛さん。そんな良寛さんの生き様と、蜷川氏の人生とは、確かに通底しているように思えます。

 いずれにせよ、今この瞬間にも世界中に拡散を続ける感染症が、一日も早く収束して、文字通り明るく暖かく穏やかな春の日差しの下、人々の笑顔と歓声が、街中に溢れる日が来ることを祈るばかりです。

『この宮の 森の木下に こどもらと 遊ぶ春日は 暮れずともよし』

『こどもらと 手をてづさはりて 春の野に 若菜を摘むは 楽しくあるかも』 

 ……いずれも良寛詠


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