住職の法話

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住職の法話一覧

2021.06.01
「四攝法」家族の絆


 先日胸を突くような新聞の特集記事が目に止まりました。

 小学6年の児童が、卒業式を控えたある日、40㎝ほどに伸びた長い黒髪を、美容室でバッサリと切り落としたというのです。児童の名は大分市に住む大呂(おおろ)遼平君(12)。男の子です。髪を切ったのは卒業式のためではなく、ガンの治療や脱毛症で、髪に悩む子供向けのカツラを作る「ヘア・ドネーション(髪の寄付)」のためでした。

 遼平君が髪を伸ばし始めたのは、小学生新聞で、ヘア・ドネーションの記事を読んだことがきっかけでした。病気のため髪の毛をなくした子が同級生にいたこともあり、「病気で困っている人に、自分が出来ることをしたい」と思ったのだそうです。

 これだけでも充分驚きですが、遼平君にはもう一つの理由がありました。彼には4歳下の双子の妹、結以子(ゆいこ)ちゃんと、理紗子(りさこ)ちゃんがいます。理紗子ちゃんは「先天性角化不全症」という、100万人に1人という難病に苦しみ、これまで両目は5回も手術を受け、更に自ら血液を作り出せなくなり、骨髄移植しか生きる道はなく、家族の中で、その時小学1年生だった遼平君の型だけが一致したのでした。両親は迷いに迷った挙げ句、遼平君に詳しく説明。『りっちゃんが助かるなら』と、骨髄移植の手術を受けたのでした。

 ところがその後も、さまざまな合併症に襲われ、ついには肺機能の低下により、酸素マスクが手放せなくなり、医師から「終末期医療として最期を穏やかに過ごすか、肺移植しかない」と告げられました。

 眠れぬ日々を過ごし、『命の価値って何だろう』と考え、何度も何度も話し合ったそうです。しかし、呼吸するだけでも苦しいはずの理紗子ちゃんが病床で、手術の後遺症で麻痺している小さな右手の指を、必死に動かそうとしている姿を見た両親は、『理紗子は生きようとしている』と強く感じ、自分たちの片肺づつを、理紗子ちゃんに移植することを決意しました。大学病院で手術を受ける前夜、理紗子ちゃんが言いました。『みんなと一緒に寝たい』……家族は酸素吸入器があるベッドに布団をぎりぎりまで近づけて寝ました。

 幸い手術は成功したのですが、両親は今も息苦しさが残っているそうです。理紗子ちゃんは半年間の入院の末退院し、今年の春3年生になり、リハビリに励んでいるそうです。記者が「病院では大変だった?」と聞くと、指で胸を指しながら、「こっち(右)はパパ、こっち(左)はママがいるよ」と教えてくれたそうです。

 髪を伸ばし続けた2年間、遼平君は「女の子みたい」とバカにされたこともあり、周りの人と違うと、どんな目で見られるのか身をもって体験しました。彼は今「好きで難病になったわけではない妹は、僕以上に辛い思いをしたのだろう。人と違うことは短所に見えるかも知れないけど、長所にもなる。辛い思いをした人は、人に優しくなれるんじゃないかな」と思っているそうです。

 曹洞宗の宗祖、道元禅師様のお諭しに、『四枚の般若』というのがあります。平たく言えば、人間にとって心豊かに生きるための「四つの智慧」とでも言えましょう。「智慧」は「知識」とは違います。物をただ知っているとう知識だけでは、本当の役には立ちません。「智慧」とは「命の働きであり、根源的な命の姿」、言い換えれば、他のために力を尽くす行いを言うのです。長くなるのでここでは詳しく述べられませんが、その四つの智慧を要約すると……

 一つ目は「布施」~~捨て身になり切って打算なく、物も心も何もかも惜しみなく捧げ尽くすこと。

 二つ目は「愛語」~~相手が誰であろうとも、その人を自分の可愛い幼子のように思える柔和な慈しみの心で接すること。

 三つ目は「利行(りぎょう)」~~利他行とも。自分に物のあるなしにかかわらず、どのようにすれば他人様のお役に立てるのか、痒いところに手の届く如く、手だてをめぐらすこと。

 四つ目は「同事」~~相手と自分とが、いついかなる時も、ちぐはぐな気持ちにならず、行動所作は違っても、心はしっくりと一つになって、銘々の分担を忠実に行うこと。

 以上の四つの智慧を難しい言葉で「四攝法(ししょうぼう)」と言います。いずれも、豊かな心の実践には、「自他」の区別はないということなのです。

 大呂家の家族の姿は、打算や計らいは微塵もない、「四攝法」の実践そのものでした。親なればこそ、兄妹なればこそ、と言ってしまえばそれまでですが、大呂家の家族5人みんなが、それぞれ菩薩様の働きをしたのです。

 今のこのギスギスした社会で、真に麗しい愛と慈しみと、本物の強さによって、強固な絆を作りあげた家族の物語に出会えて、胸を熱くしたことでした。


2021.05.01
菜っ葉一枚も目ん玉と同じ尊さ



 私にとって、山形に生まれ育ったことの幸せを、最も強く感じさせてくれるのが、新緑のこの季節です。厳しい冬が過ぎ、明るく穏やかで温かな春の訪れと共に、恐らく種類の豊富さでは日本一と言ってよいであろう山菜が、毎日のように食卓を賑わしてくれます。若い頃は、そんなに美味しいとも、特に食べたいとも思わなかった山菜の数々が、年齢を重ねると共に、無上の味わいを感じるようになりました。

 タラノメに始まり、コゴミ、木の萌(あけびの新芽)、コシアブラ、ミズ、山蕗、アイコ、ワラビ、ウド、シドケ、ドホイナ、ウコギ、ウルイ、根曲がり筍 等々……数え上げればきりがない程の豊かさです。恐らく雪国以外の人達には、聴いたこともないようなものも沢山あることでしょう。

 我が安養寺の竹林も、雨後のタケノコの喩え通り、今が盛りです。関東にいる娘や妹達に、自前の孟宗タケノコに数種類の山菜を添えて送るのですが、その喜びようが電話口から聞こえてきます。こうした豊富な自然の恵みが食卓を賑わすとき、「あぁいよいよ春だなぁ!」と本当に実感でき、この上ない幸福感に満たされるのは、雪国に住む人々の特権かも知れません。そして、こうした豊富な自然の恵みを、美味しく味わえる幸せは、健康であればこそです。

 さて、少し難しい言葉で恐縮ですが、次のような文言を思い出しました。
 『之(これ)を護借(ごしゃく)すること眼晴(がんぜい)の如くせよ』

 これは禅の言葉ですが、修行道場における食事当番の心得を示した言葉です。『之』とは料理の材料のことをいい、『護借』とは物を大切にすること、そして『眼晴』とは自分の目の玉のことです。

食べ物を作る心得として、調理の材料を自分の目の玉ぐらいに大切にしないと美味しい料理は出来ないぞ、と厳しく教えているのです。好い料理を作るコツは、まず材料を大切に扱うことです。だから野菜の切れ端でもポイと捨てたりしません。例えば椎茸でも昆布でも、一番ダシ二番ダシを取り、それをさらに佃煮にするくらい大事にします。

 よく考えてみてください。私たちが食物として口に入れるもので、命の無かったものが一つでもあるでしょうか。野菜、魚、肉、すべてみずみずしい命を持っていたものばかりです。私たちは三度三度、その命を食べているのです。そのおかげで健康を保ち、命を長らえていられるわけです。日本が世界有数の長寿国と言われるのも、みんなこうした多くの恵みに支えられたおかげでしょう。

 自然の多くの恵みに支えられているわが身の尊さに気付けば、菜っ葉一枚が、自分の目の玉と同じくらいに大切であることが理解されるはずです。「いただきます」「ごちそうさま」は、正に多くの命の恵みに対する感謝の表現なのです。

 それにつけても、この季節には必ず何度か訪れている生まれ故郷の山菜料理屋に、この二年ばかり一度も行けていません。コロナ禍の世の中が落ち着いて、豊富な美味しい山菜料理を、親戚縁者や知人達と一緒に楽しめる日がいつになるのか、一日千秋の思いで待っている今日この頃です。

〔写真上〕ワラビ  〔下〕タラノメ

 


2021.04.01
叱られたご恩



 私が時々通っている整体治療院の待合室の壁に、いわゆる一日一訓と言われる日めくりのカレンダーが掛けてあります。先日その中に次のような句がありました。

 『叱られたご恩忘れず墓参り』~~この句を目にしたとき、六十数年も前の、私が高校生の頃のあることを思い出しました。

 それは、多分冬の寒い日曜の朝だったと思います。普段は6時頃に起床し、祖父母や妹と共に朝の掃除の後、朝食を済ませて登校するのが平日の朝でした。因みに私の朝の役割は、玄関を入った広い土間の掃き掃除と、その土間から上がった板の間の雑巾がけと決まっていました。勿論祖父母は、朝食や私たち兄妹の弁当を作るために5時には起床していたようです。

 その朝、いつも起きている6時頃、便所に行きたくなったのです。その当時、私が育った寺の便所は外にありました。いつもの平日のように起きて、雪を踏んで外の便所に行けば、そのまま起床して掃除を手伝わなければなりません。日曜日でもあり、もう少し布団の中に入っていたい私は、つい怠け心を起こしたのです。

 その頃の私の部屋は、屋根裏部屋のような天井の低い二階でした。そこで一計を案じたのです。部屋の北側の壁の三尺ほど上の所に小さな窓があり、その下に椅子を置いて上り、窓から直接下を目掛けて放尿に及んだのです。

 ところが間の悪いことに、丁度その小窓の下では、祖父が雨戸を開け、内外の空気を入れ替える朝の日課の最中でした。私が二階から放尿していることにすぐに気附いた祖父は、恐ろしい剣幕で上がってきて、私を階下に引きずり降ろし、烈火のごとく叱り始めました。普段は優しくて、傍にいるだけでどことなく温かく、ユーモアの絶えない祖父でしたが、それまで見たこともないような、仁王様のような形相を見たのは、後にも先にもこの一度だけでした。しかも叱っているその時の祖父の眼には、光るものがあったのです。傍では祖母も声をあげて泣いていました。六十数年も前のことですから、叱られた言葉そのものは全く記憶に残っていないのですが、仁王様のような、しかも眼に涙を溜めたあの祖父の顔は、いまだに忘れられません。

 思うに、幼児の時から、自分の後継にと、あえて両親から離して、必死に育ててきた孫を、こんなに怠惰でズル賢い人間にしてしまったのだろうか、という悔悟と無念の思いが、あの形相とあの涙になったに違いありません。

 そのことがあって以来私は、"自分にとって楽と思うことは選ばない" "辛いことや苦しいことから逃げない" "他人を貶めるような卑怯なことはしない" "陰でこそこそ隠れて、堂々と人様に見せられぬ様なことはしない" と、自分に言い聞かせてきました。

 人間だれしも褒められると、有頂天になり、時には自分自身を見失うことさえあるように思います。実際私も、中学を終えるころまでは、祖父からはよく褒められていました。今思うと、命にかかわるような危険でバカなことをしても、少々の悪さをはたらいても、『うん、そうか』と言って、笑って許してくれていました。しかし今になって思うのは、褒められるより、魂に触れるような叱られ方をした方が、強く心に残り、人間形成の大きな一要素になり得るということです。

 季節は新学期~~子供たちにとっては、それぞれ新しい学びが待っています。この際大人たちも、子供の悪さを見たら、ただ感情に任せて怒りを爆発させるのではなく、相手の魂に触れるような、理の通った叱り方を学んではいかがでしょうか。

 それにつけても、昨年は祖父の丁度50回忌の法要の年だったのですが、コロナ禍のせいでやむなく延期しています。50年を経て今もなお私の心の中に生きているあの祖父への最後のご恩返しと思っていた法要ですが、このまま中止せざるを得ないのかと思うと無念でなりません。2年後には祖母の50回忌を迎えます。それまでには何とかこの疫病が終息していれば良いのですが。

 

 


2021.03.01
冬から春へ



 土の中に潜んで冬籠りしていた諸々の虫たちが、穴から地上に出てくるという啓蟄。春の季語としても代表的な、二十四節気の一つです。寒い日が続いたと思うと、翌日は暖かくなっていく三寒四温の言葉を肌で感じ、雪深い東北の地も、本当の春がもう間近です。今年は各地とも例年にない豪雪に見舞われ、何かと苦労の多い冬でした。三月になったこの時期でさえも、除雪に汗を流している地方がまだあるようです。

 しかし二千年にもなろう日本の歴史の中で、冬の次に春がやって来なかった年など、一度としてなかった筈です。大自然の動かざる法則、これを「自然法爾(しぜんほうに)」と言います。お釈迦様のお悟りによれば、この自然の法則も、つきつめて言えば、「縁起(縁によって、ものみな起こり生ず)」の法則に至るのだと、説き明かされました。

 冬が過ぎて春が訪れる。そこには、太陽の光、地球の回転、水の流れ、樹木の成長、ありとあらゆる自然界の営みがあって、私たちに春を感じさせてくれるのです。このことこそが、四季の移ろいの中で生かされている私たちの特権であり、幸福そのものです。四季という季節の移ろいのない、砂漠や、亜熱帯や、ましてや氷に閉ざされた地域に生きている人々にとっては、到底想像すらできない世界といえましょう。もしもこの日本で、自然界の営みに異変が生じれば、私たちも全く異なった感覚に襲われ、これまでの生活も一変してしまうはずです。

 ただ漠然と、冬から春へ移ることを、自然の法則というのではありません。冬から春へ移るための、あらゆる縁に生命(いのち)を与えている、宇宙的に大きくはるかな仏の生命があることを「自然法爾」というのであり、その法則を守るためにも、環境保護の大切さを知るべきなのです。そして、私たちの生命も、その自然の、仏の命の中に生かされているというのが、仏教の根本思想であり、これこそが他の宗教との大きな違いなのです。


2021.02.01
常識のあやふや



 先月私の母方の叔父が、97歳の長寿を全うして旅立ちました。いざ葬儀に参列する段になって、若干戸惑ったことがありました。それは、香奠と中陰供養(五七日忌)の香料と忌中見舞いを、それぞれどんな袋に入れるべきかということです。普段寺の住職の立場にいて、檀家さんから仏事の様々な作法や、慣習について聴かれたとき、何ら困ることもなく答えたり教えたりしている身なのですが、いざ自分のこととなると「はて?」と、首をひねってしまうことがままあります。結局は、中身の金額に応じて、銀色の水引の付いた袋と、水引のない、裏の上下に折り返しがある袋、更に何の飾りもない封筒状のものをそれぞれ用意して事なきを得たことでした。

 思うに、世の中の常識とされていることや、何の疑問も抱かず当たり前に行われている慣習に、果たしてどのような意味や意義があるのか、又どのように行うのが本当の作法に適っているのか、意外と曖昧にしか知らない人が多いようです。ましてや外国人にとって、日本の冠婚葬祭の作法や慣習は、まさしく不思議の世界そのものに違いありません。

 かつて日本に長年住んで、言葉は勿論、日本の生活様式にはすっかり慣れている筈の外国籍のタレントが、知人の葬儀に会葬したとき、焼香の作法がわからず、他の会葬者の焼香の仕方を後方から見ていたら、どうも日本人はあの箱の中の粉末(抹香)を食べているように見えたので、いよいよ自分の番になって、その粉末をひとつまみ食べてみたら、あまりのまずさに閉口し、日本人は何と不思議なものを食べるものだと驚いた、という話をしていました。「そんなバカな!!」とは思いましたが、焼香の作法などついぞ知らない外国人にとっては、あながち笑って済ませることではないのも知れません。

 そういえば、先日の新聞に、14歳の女子中学生の面白い投稿を見つけました。「見まねでやったお焼香で大失敗」という題で、以下のような内容でした。

 「8歳のころ、初めて法事に参列したとき、焼香の仕方を全く知らなかった。前の人と同じようにやろうと、何度も見つめたが肝心なところが見えない。お香を額に近づけているようだが、あやふやだった。私は焦った末、香炉で煙を出している香をつまみ、おでこにこすりつけた。額に焼き印が付くことで弔いになるのだろうと考えたのだ。でもやっぱり熱いので、二度目はせめてもの思いで、器の隅からほんの少し熱い香をつまみ、おでこに付けたのだった。挑戦は大失敗だった。ああ、学校の授業などで教えてもらえる機会があったらよかったのに」……

 幸か不幸かコロナ禍で、家族で過ごす時間がいつもより多い今、冠婚葬祭の常識について、話し合ってみる良い機会と思いますがいかがでしょう。

 例えば……人が死ぬと何故北枕にするのか。南枕ではいけないのか?  末期の水はお茶やコーヒーでは駄目なのか? 亡くなった人の顔を白布で覆うのは何故なのか。黄色や赤のハンカチではいけないのか? 何故枕団子を供えるのか。和菓子屋のみたらし団子では悪いのか? 六文銭の替わりは1円硬貨か、10円硬貨か、それとも100円硬貨か? 焼香は何回か? 等々

 「死」という暗いイメージの話題も、意外と明るく楽しく話せるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 


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